スパイスポスト

結論からいうと、この店は美味しい。そりゃあもうかなり美味しい。みんな通った方がいい。

 

しかしだ。スパイスポスト、俺の中ではそれだけでは済まない、なんだか興味をそそられる不思議な店という印象がある。カレーを食べてただ美味かった、その満足感だけではなく、よく判らない不思議な感覚を受け止めつつ、いつも店を後にすることになる。何故なのか。それを今回は探りたいと思う。

 

代々木八幡。渋谷や恵比寿といった判り易い記号性がなくて、その分だけ純度高めなお洒落エリア。そして、山手線のちょっと西側という、俺の生活圏ともやや被りながらも微妙に縁遠い場所で、交通機関的になかなか行き辛いエリアでもある。どうでもいい話だが、俺にチャリがあればスパイスポスト、多分めっちゃ通ってると思う。逆に車では面倒で行く気がしない、そんな代々木八幡。あの辺り駐車料金高いし、なんか道狭くてゴチャゴチャしてるし。あー、チャリ欲しいなあ。

 

地方出身の俺にとって、バスとは公共の交通機関との認識を持つ対象にならない。地方のバスなんてそりゃあもう酷いもんだから。なので、目的地に向かってバスでお出かけってことは普段はないのだが、地理的条件によって代々木八幡にはバスで行くことになる。

 

普段乗らないバスは結構ホラーだと思う。そんな風に思った経験ってないですか?
とにかく予想だにしない、意表を突く突発的な出来事がやたらと起こる。座席に身を沈めアポ取った相手との交渉を脳内でシミュレートしつつ、もうあとちょっとで着くかな〜なんて思っていたら、聞いたことのない病院の前のバス停で自分以外のほぼ全員である老婆の群れが大挙して下車するのに数分待たされ、更には全取っ替え気味に新たな大量の老婆が数分かけてヨタヨタ乗車してくるのをずっと眺めさせられたり、オフの日の気まぐれで乗った、静まり返ったバスの昼下がりの車内でついうたた寝してたら、名門風な私立小学校前のバス停でお行儀の良い制服を着た利発そうな子供達が、それでも年相応にキャアキャアはしゃぎながら何十人も乗り込んでくる騒々しさで強制的に起床させられたり。しかしこうやって文字にしてみると、ただちょっと我慢してれば済む出来事なのにいちいち大袈裟に取り上げてるようで、心が狭いな俺は。

 

その日のバスは乗客もまばらで、空席もそこらにあったが、途中のバス停でご年配の方々が乗り込んで来て座ってる俺の目の前に立たれる恐怖心から、つり革に掴まり立っていた。恐るべき気まずさを未然に排除。その時の俺はバス前方の乗り口から入り、一律料金をパスモで支払ってから、バス中央に位置取った。まあ当たり障りない身のこなしだったんじゃないか。後からホラーが襲ってきても対処の仕様はあるだろう。

 

そんな安心感の中でゆらゆら揺られてスパイスポストが待つ代々木八幡を目指していたのだが、そこに登場したのが、ベビーカーを押した若い母親。停車したバス停で、バス前方の入り口から当人だけ車内まで身を乗り出して運転手さんにひと言ふた言交渉し、支払いを済ませたらさっと踵を返して、特別に開けてもらったバス中央の降り口から、ベビーカーをよいしょと担ぎ上げてワイルドに乗車。確かに、乗り口よりも降り口のほうが間口が広いからね。ここでベビーカーと俺が横並びになる。

 

まず、若い母親がベビーカーを担ぎ上げて乗車する段階で、それを正面で迎え入れた俺に逡巡が到来する。すなわち、手を差し伸べるべきか否か。これ、世の成人男子からしたら結構難しい問題なんだよな。別に俺は筋骨隆々な男子ではないし、そして実際にそう見られることはまずないだろうが、流石に女性よりは力は強い。なのでシチュエーション的に手助けしてあげたくなるんだけどね、これが難しいんですよ。

 

母ひとり幼児ひとりの状況って、当然ながらお母さんは気が張ってる。防衛本能。なので当然、緊張感漲る。そこへ見知らぬ男性が唐突にベビーカーに手を伸ばしてくるとしたら、お母さんの受け止め方次第では、これはもう充分にホラーだ。そういった、世の幼児を持つお母さん方が感じるであろう心理的ハードルを、軽やかに飛び越えて的確に手助け出来るような才覚が果たして俺に備わっているのだろうか? そんな逡巡がやってくるのです。

 

俺が普段からのべつまくなしに誰彼なくお喋りに高じてるような昭和の吉本芸人みたいなタイプならば、なんか適当な挨拶と世間話を散りばめながらすっと手助け出来るだろうが、残念ながらカレー好きにそんな世慣れた奴はいない(偏見)。

 

なので、若い母親のワイルド乗車以降、バスの運行状況によるベビーカーの揺れに従って、横で見てる俺は咄嗟に手を伸ばそうとしたりしなかったりで、でも客観的にみた現実の俺はただベビーカーの横で立ち尽くしていただけで、特に何も行動に移してはいない。しかし何もしていないのに心に去来するものすごい徒労感。ヴァージニア・ウルフばりの心の揺れがバスの揺れと同期する気分。それか『12人の怒れる男』か。これがバスの恐怖。

 

以前、乗ったバスでこんなことがあった。
俺の座ってる座席の近くに老婆が立った。色々考えるが、まあしょうがない、覚悟を決め席を譲る。ここで俺が、普段の会話では大体いつも小声で聞き取り辛い発声の癖に、何故かこのときだけ妙に通る声で老婆に声をかけてしまったことから悲劇が始まった。

 

「あ、どうぞ。ここ座ってください」
こんな感じで俺の声が車内に響き渡った。車内中に席を譲った奴がいることが認知されただろう。もしかしたら、声をかける直前に外したとはいえ、イヤホンでずっと音楽を聴いていたことも必要以上に大声になったことに影響しているのかも知れない。しかし声のデカい奴なんてそこらにいる。そのときの俺の所作は、いま思い返してもどこにも落ち度は無い筈だ。ただ唯一の誤算は、老婆が、老婆のくせに割と元気な奴だったことだ。

 

「あらどうもありがとう、でも大丈夫よ」
俺の、振り絞った勇気のちっぽけさを嘲笑うかのように、満面の笑みでにこやかにノーサンキューの返事を打ち返してきやがる。おいおい、リターンエースか。

 

「いやいや、俺もう降りますし」
大袈裟に感謝されることへの気恥ずかしさに少し距離をとってつり革に掴まる、なんてその後の身の振り方を考えてた俺の予想をまんまと裏切る展開に、思わず瞬時に口から出た適当な作り話でなだめすかしてなんとか俺の空けた席に老婆を座らせようとするが、和かだが強情な老婆は、聞いてない健康自慢話などを散りばめながら俺に応答して、I stand here とばかりにガンとして動じずその場に立ち続けた。オープンリーチ気味に衆人環視のもと勇気を振り絞って席を譲ったもののサクッと振られたことで惨めな晒し者になってしまった俺は、すごすごと引き返して元居た席に座り直すような屈辱に耐えきれず、かといってずっと老婆の横で呆然と立ち尽くすわけにもいかず、さっき口から出た、老婆をなだめるための作り話を、プロ野球敗戦処理投手のごとくこなすべく、場所も確認しないままポチッとブザーを押して次のバス停で逃げるように降車。

あー、もうこれ全然知らない場所。

 

降りる際にチラッと振り返ると、俺の空けた席には、相変わらず立ったままの健康自慢な老婆よりはまだ少しは若そうなオッさんがせせこましく座り込もうとしているところだった。
オッさん、座るのはいいんだけど、ところでそのフィッシングベストってなんで着てるの?

 

結局その後、目的地まで30分強はうろうろ歩き続けるはめになって俺にバスの恐怖を叩き込んだ、かつての悲劇的な記憶を苦々しく振り返りつつ、その日の俺の耳にはいってきたのは無事に降車予定のバス停への到着のアナウンス。おお、代々木八幡よ! 無事着いた!

 

ところでとなりのベビーカーは、道中の降車客が多いバス停ではベビーカーごと一旦道路に出て乗客のスムースな降車を促しつつ、降車客が降り終わるとまた担ぎ上げて乗車するというワイルドな気配りを見せたりしてた。お母さんすげえ。

 

バスが速度を緩め、停車する。
まあまあ残ってた乗客はみな終点の渋谷まで行くのか、目的のバス停で降りたのは俺とワイルド母さんwithベビーカーだけだった。
バスを降りたワイルド母さんは、車内での異様に周りへ気を配った、大人びた利他的な行動の数々が嘘のように、ベビーカーに乗る我が子に向けて、正直ちょっと気持ち悪いくらいの甘ったるい猫撫で声で話かけている。きっと本人も懸念していたバスを無事に乗り終えたことで、気持ちが緩んだのだろう。その背中に向けて、いろいろ思いは巡らせながらも具体的には全くなにひとつ手助けしなかったことを詫びる、もちろん心の中で。表面上はまったく素知らぬふりで。いや、育児だけで大変なんだから、そんな気を張らなくていいと思うよ、これはマジで。でも心の中で、素知らぬふりで。
この、相手のことを慮った結果として距離を取った方がお互い幸せである、という思考パターンは、果たして親切なのだろうか、それともただのチキンか。今度「もりのくまさん」を作詞作曲した奴にでも訊いてみたいところだ。

 

というわけで、遂に着いた。お洒落エリア代々木八幡だ。
正直、メインストリートにはそんなにお洒落感は漂っていない。代々木八幡のお洒落店舗は何故か異様なほど路地裏に拘っていて、店によってはものの見事に四方をケモノ道というか裏路地に囲まれてるようなツワモノも存在する。もはや鉄壁の守り。しかし地方出身者の俺からするとそういうのを見る度に、中学生になったお兄ちゃんが裏庭にコンテナ置いて自分の部屋作ったって〜、みたいな子供の頃どっかで聞いたようなセンチメンタルに引き込まれそうにもなる。そういう風に見える人もいるんですよ。

前に行ったことのある、まさにそういう、竹取物語でのかぐや姫の初登場シーンのような立地にある有名な洋菓子屋さんも、グーグルマップ泣かせな裏路地を伝って行く、こじんまりとしたお洒落店舗で、ちっちゃいながらイートインスペースを一席だけ設けているんだけど、それが外から見えるお洒落なショーウィンドウの真ん前。つまりはその店でイートインしたら、ソロで食ってる奴がもうまんま店の広告塔となるのだ。まるで常在戦場な戦国武将ばりの豪快な胆力が備わってないと、あそこでスウィーツ食えるほどの漢にはなれないだろう。

 

今回の主役、スパイスポストは、そんな多くの代々木八幡のお洒落店舗とは違い、割と親しみやすい通り沿いにある。店構えも、誰もが安心してフラッと寄れるような造作だ。
とはいえ、内部はちょっと変わった造りをしている。入り口が隣り合った二つに分かれてて、奥で繋がってる。果たしてこの説明で理解して頂けるだろうか。行ったことがある人には判ってもらえると思うが。左の入り口から入って直ぐ正面のカウンターに座り、右側の壁に身体を預けてカレー食ってたら、頭の直ぐ前に穿たれた窓越しに隣の入り口から入った人がテイクアウトの注文し始めたりする。

 

そんな造り。

俺はこの造りを見る度に、ディズニーランドのスプラッシュマウンテンを連想してしまう。スプラッシュマウンテン、あのアトラクションのハイライトは、あの勝手に写真を撮られる、大きな滝から落ちるところだろう。
しかしスプラッシュマウンテン、実はその後が長い。滝から落ちたその後の、段々と雰囲気がシンミリしていく過程の、光量の落ちた壁の隙間から覗く作り込まれた奥行きとか、ドップラー効果で笑い声の効果音が徐々に低く遠ざかっていく感じといった雰囲気が俺はすげえ好きなんだけど、スパイスポストの不思議な店の造りからは同じような風情を感じる。というか、店に入って窓から覗いたらまた店内って不思議さが、スプラッシュマウンテン終盤の壁に似通ってるって話だ。頭の直ぐ上から「すみません、持ち帰りで〜」なんて声を不意に聞くたび、あのゴンドラに揺られながら、壁の向こう側を覗いてみたいって気持ちを思い起こすんだな。

 

そんな通好みな風情の充満した店舗でカレーを食う。だいたいいつも2種盛にするが、体感的にはポークは売り切れている率が高い。でもどれ食ってもだいたい美味いので問題ない。

 

そして更に、美味いだけではない。
量が多い。
器を受け取って、その時のずっしりとした重みで気付いてる筈なのだが、食ってる最中に改めて皿の深さを感じる。もうスプーンの刺さりが違うから。ザクッていくから。

 

そしてこれは有名だが、どうやらチキンカレースープを自由におかわりさせてもらえるらしい。そんでライスのサイズは400gまで注文できるとのこと。もしも俺が育ち盛りのアンファンテリブルだったならば、もう毎日通ってカレースープおかわりしまくって、純粋培養の実験動物みたいになってたんじゃないか。

 

しかしながらいまの俺はもうそんな莫大な量を平らげるような柔軟な胃袋は持ち合わせてないので、常にライスは一番少な目で、それでも普通にお腹いっぱいになるため、残念ながらカレースープのおかわりはしたことがない。
あとは西インド風ポテサラは必ず頼んでいる。俺の乏しい知識ではこのポテサラのどの辺りが西インドなのかいまいち判別がつかないのだが、とりあえず食う分には美味い。

 

という訳で、ここに来ると美味いもので腹を満たすので非常に満足する。

 

印象的な窓から覗く風景は、実際には持ち帰りの行列だったりだが、ついつい幻視するのは、まるでジョルジョ・デ・キリコの絵か、アレハンドロ ・ホドロフスキーの『リアリティのダンス』の街並みか。そんな物哀しくも美しい風景を幻視していられたらカレー好きにとって本当にしっくりくる店なんだけど、しかしそうはならないんだな。何故か。ここで冒頭の問題提起に戻る。

 

カレー好きがカレー作って、そこにカレー好きが集まってきて、カレー好きが好きそうな空間で美味い美味いと食べる。それはとても美しい世界だとは思うが、どこか閉じている。そう感じる。

 

その点において、この店、スパイスポストからは、どうもその閉じた空気を感じない。これは悪い意味ではない。
もともとはたこ焼き屋やバーを運営している店の昼営業という前情報から、俺が勝手にそういう印象を持っているのかもしれないが、好きが高じて店を始めた人によくある、同好の士に対する甘えみたいなものは、この店からは感じられない。
同好の士というような親しみよりも、きちんと線引きをしたプロ意識が強く出ているように思う。そしてそのプロ意識の持ち方にオリジナリティがあってカッコいいと俺は思うんだな。ちょっとややこしい話だが、まあ判って欲しい。

 

つまり、出してるカレーは最先端の流行を確実に芯で捉えていながら、カレー屋としての在り方はちょっと異端の存在になっている。そんな風に思ってしまう。
開店時間が人知れずどんどん早まっていってるのも、所謂みんながイメージするカレー屋をやろうとは更々思ってないことの表れのひとつなんじゃないか。

 

これは、アレだ。
Beastie Boysみたいだ。
Bad Brains憧れてイニシャルがB.Bとなる名前にしたように、ハードコアパンクバンドとしてキャリアをスタートしながら、自分達の方法論を考えてたらいつの間にか独自なHIPHOPに移行してた、いやまあDEFJAMのロック化路線に乗っかったって部分もあるのかもだが、そんな感じ。そしてHIPHOPに移行しながら、いかにもそれ風な路線とは一線を引いてる感じ。
HIPHOPというとやたら4大要素とかを重視するけど、それに対して敬意は持ちつつ、でもそれよりも自分らのインディペンデント精神のほうが大事。
俺なりのビースティ観はそういうものなんだけど、そんな、Beastie Boysのオリジナルな立ち位置と近いものを、俺はこの店から感じ取ってしまう。

 

その証拠に、ぜひ聞いて欲しい。
この店の人の、カレースープのお代わりを勧めるやたら節回しのついたクセのある声を。
まるで若い頃の故アダムヤウクみたいじゃないか。
「はい、カレースープおかわりできますよ〜」って声が、心なしか「ブルックリンまで寝れないよ〜」ってな具合に聞こえてくる。

 

だから、カレー屋としてどこかしらしっくり来ないのも当然なんだな、俺の中では。むしろそのズレこそがこの店の凄さなんじゃないか。つまりグランド・ロイヤル的異質感。なるほど、スパイスポストってグランド・ロイヤルだったんだな。

 

俺がこの店に初めてきた時に、満ち足りた気持ちとこの人(MCAっぽい人)の醸し出す威勢のよさにほだされて、ついつい去り際に「ごちそうさま、すっごく美味しかったです。また来ます」なんてことを、キャラにもなく口走ってしまったことを思い出す。
実際に凄く美味かったし、それからも何度か行ってるので特に問題のある話ではないのだが、こういうお店の人へのリスペクトを前面に打ち出す態度って、普通のカレー屋じゃあんまりないなと思ったんだが、今回、このお店の立ち位置を考えてみて、その独自性にあらためて気付いた次第だ。

 

だって、なんかラーメン屋や居酒屋みたいじゃない? お店の人つかまえて過剰にコミュニケーション取っちゃうのって。

 

要はこれは、その時のことをあとから振り返ってちょっと恥ずかしくなった俺が、どうにかして自分の中でその言い訳をしたくなって編み出した文章なのである。
それではお付き合い頂き、どうもありがとう。

 

あと、歳取って席譲られたら、大人しく座ってくれ。

Tahiti 80 / Puzzle 108円

みなさんはロビー・ファウラーというサッカー選手を知っているだろうか。俺はちょっとだけ知っている。リバプール生まれのストライカーで、90年代後半に活躍したリバプールFCの英雄だ。

地元の労働者階級で生まれ育ったロビー・ファウラーは、リバプール・ユースからトップチームへ昇格するとすぐに得点を重ねてしばらくはチームのエースに君臨。しかしいい時期は長くは続かず、怪我した隙に隣街チェスター出身でユースの後輩、マイケル・オーウェンにサクッとポジションを奪われると、そのオーウェンがあれよという間に世界的にも注目を浴びるほどの大活躍をみせ、たちまちイングランド代表でも替えの利かない存在となる。とんとん拍子にバロンドールも獲得して、オーウェンはトップスターの仲間入りを果たす。
それとは対照的にファウラーは怪我の影響、それとまあ素行の悪さもあってか、子供の頃から慣れ親しんだ地元クラブのリバプールを放出されるという切ない思いを経験している。でもその後、移籍先で復活を遂げ、請われてリバプールに凱旋するんだけどね。

 

というわけでTahiti 80
フランスの一発屋、とは間違っても言えないが、1stアルバムで一発当てた後もいろいろ頑張っててそれぞれ良いんだけど、デビュー時に浴びた脚光というか、発した存在感というか、請け負った役割を同じフランスの同世代であるPhoenixに奪われてしまった感のあるバンド。俺だけの感じ方なのかも知れないが、キラキラっていうか爽やかっていうか、まあそんな感じ。そんな感じを喪失しちゃったイメージ。
だってLaurent Fetisのジャケもメッチャお洒落(2ndなんて特に)だけど、それだけに一生懸命頑張りました感が滲んでるノルマンディーの田舎学生Tahiti 80に対して、憎っくきライバル、Phoenixヴェルサイユ育ち、ダフトパンクとも旧知の仲、Vo.トマの彼女はソフィア・コッポラってんだから、まあしょうがないよね。

 

で、『Puzzle』。Tahiti 80の1stにして全盛期アルバム。2000年発表。知らなかったがこのアルバム、いまから数年前に15周年記念デラックスエディションみたいなのが出てたらしい。最近はなんでもリイシューしちゃうんだな。もちろん買ったのはそんな大層なものではなくて、当時の普通の日本盤、の中古盤。そう、日本盤というところに買う意味があった。このアルバムは、シングルとなった「Heartbeat」がいちおう代表曲ではあるが、それだけが突出することなく、全体を通して聴ける秀逸な出来。デビュー作のくせに大人し目なラスト曲「When the Sun」でしんみり締める辺りがセンス良い。なので、日本盤特有のボーナストラックなんてのは本来このアルバムには蛇足でしかないのだが、しかしながら、ボーナストラックのラスト曲である「So You Want To Be A Rock'n Roll Star」の出来が素晴らしいのだ。言わずと知れたByrdsのカバー。マッギン&ヒルマンの黄金コンビによる原曲は、どうやらByrdsと同時代のアイドルバンド、Monkeesを揶揄する目的で作られたらしい。「お前ら、ロックンロールスターになりたいんだろ? じゃあ小綺麗にして身なりを整えて、ギターを少し練習してあとはレコード会社に自分を売り渡せ。それで出来上がりさ」こんな曲。いや、俺は自分で訳してないが、いろんな人の訳した話だとどうもそういう歌らしい。ありがとういろんな人。しかしながら、そんな他人を馬鹿にするというネガティブな感情を元に作られていながらも、楽曲としては爽快感のある、素直にカッコいいロックナンバーになっている。そのカッコいい曲を聴きながら考える。Tahiti 80はなにを思ってこの曲をカバーしたのだろうか。まさかByrdsの尻馬に乗っていまさらMonkeesをからかってみたってことはないだろう。死者に鞭打つ的な。世代的に見てもおじいちゃんくらいの年齢の人たちに対して「お前らスターになりたいんだろ?」などと小馬鹿にするなんて話はどうにも考え辛い。ていうかそもそもMonkeesだってカッコいいんだよな馬鹿にすんなよ、いやこれは俺の主観だが。

 

単純にこれがいい曲だからってことも考えられる。それゆえTahiti 80以前から多くのバンド、ミュージシャンにカバーされた名曲だから、むしろカバーの先人たちに倣ったとも考えられるだろう。R.E.M.パティ・スミストム・ペティ& the Heartbreakersのアメリカ勢に、UKからはE.L.O.の前身バンドのMOVEもこの曲をカバーしてる。有名ながらベタ過ぎない、顔ぶれのいいラインナップだけに、むしろ、その列に加わりたかったのかも知れない。これはあると思う。

そしてさらに俺の憶測を付け加えたい。
上に記した通り、趣味のいい前例が揃っている状況で、憧れの気持ちを胸にその系譜に連なる。その上で、2000年にアルバムデビューするバンドとして、イバリの効く参照元を多く抱えておく、ということが狙いとしてあったのではないか。俺にはそう思えて仕方がない。その当時特有の格好の付け方。これには少し注釈が必要だろう。参照元を多く抱える格好の付け方というのは、その頃の空気感を知らないとちょっと理解出来ない感覚ではないだろうか。その頃、いや実際にはもう少し後だったと思うが、とにかく2000年のちょっとあとくらいの頃、音楽雑誌を立ち読みしていたら、こんな話が載っていた。相当前の話だから記憶は朧げではあるが、小西康陽Fantastic Plastic Machineこと田中知之の対談で、曲作りでの拘りの話だった。
仮に、作ってる曲にウワモノでストリングスを加えたくなったとして、自らのイメージ通りのフレーズをシンセで弾くなりスタジオミュージシャンを雇って弾いて貰えばそれで済む話なんだけど、どうしてもそのフレーズを古いレコードからサンプリングしたい、その元ネタとなるレコードを掘り当てたい、という話だった。
要は、ネタの所有自慢を含めた記号ゲームといったところだ。ブッダブランドの『人間発電所』のジャケって、ファンクバンドのMandrillだよね? みたいな話。なのでもし、仮にTahiti 80のメンバーにそのつもりがなくても、少なくとも日本盤を担当した人、この曲をボーナストラックに選んだ人には、そういう記号ゲーム的な思惑があったに違いない。

これは、このゲームは、本当に当時の空気を知らなかったら、マジでだからどうしたって話だと思うが、みんながこぞって軽はずみに真似たくなるゲームなんていつの時代もそんなもんだ。これについて考えてるうちに思い当たったが、当時の元ネタゲームの流行りを今に置き換えたら、インスタのタグ羅列みたいなものだと思う。あの、「続きを読む」をクリックすると、ズラーッとタグが並んでるやつ。お前のテントの陰に転がってるコットがヘリノックスとかマジで知らねえ、みたいな。

 

そもそもTahiti 80の日本での受容のされ方には、当時ワールドワイドな活躍で時代の寵児感のあったコーネリアスこと小山田圭吾が一役買っている。小山田がワールドツアーでフランスに行った時にTahiti 80のメンバーがデモテープを渡して、それを気に入った小山田が自身のレーベルコンピレーションアルバムに収録したところから、Tahiti 80の日本での快進撃は始まっているのだから、少なくとも、そういった当時の日本のマナーに則って日本盤が企画されたことは想像に難くない。

「So You Want To Be A Rock'n Roll Star」という「元ネタ」感のあるカバーが、ヒップホップのサンプリングという手法をポップミュージックにサンプリングして世界的に名を挙げたコーネリアスによって見出されたバンドの日本盤に収録されたというのは、よく出来た話だと俺は思うがどうだろうか。

それと、あまりに思い込み過ぎな俺の妄想だが、彼ら、Tahiti 80は、本当にロックンロールスターに憧れてたのかも知れない。つまりはMonkees側だ。周りからの揶揄を甘んじて受け入れた上で、それでもスター街道にエントリーする覚悟を表明したかったのかも知れない。そう思わせるくらいのロックンロール的なケレン味と勢いをこの演奏では披露している。これはあくまで俺の妄想だ。真実は判らない。ただ俺は、そんなドラマをこのアルバムから勝手に読み取って、当時、胸を熱くしていたってわけ。
それを最近、夜中に近所の中古CDも売ってる古本屋で日本盤(の中古盤)を見つけて思い出して、酔った勢いに任せてついつい買っちゃったんだな。

 

その後のTahiti 80の歩みは、まあ前述の通り。出すアルバムも出来の良いものばかりだけど、1stの時のような脚光を浴びるには至らない、身の丈に合った扱いって感じ。それにひきかえPhoenixはというと、実はこちらも紆余曲折を経ていて、俺的にはPhoenixの最高傑作だと思っている超カッコいい3rd『It's Never Been Like That』を2006年に出したあとに、何故か突然EMIから契約を切られるという憂き目に遭ってたりもする。いや、でも更にその後、急にアメリカでも人気出てグラミー賞取ったりもするんだけどね。


ここで冒頭の話に戻りたい。
リバプールの英雄、ロビー・ファウラーが地元を追い出されて絶望の最中にあった時、マイケル・オーウェンはずっと好調を維持し、前述の通りバロンドール取ったりしてた。更には、当時はちょっと低迷期で、名門ではあるけれど欧州リーグの中ではトップ中のトップというほどではなく、せいぜい古豪扱いといったリバプールでの大活躍を手土産に、遂にはバルサと並んで世界で最も注目を集めるであろう「銀河系軍団」こと、R.マドリーに鳴り物入りで迎え入れられ、背番号11を付けるという成功を手にすることに。
ファウラーとオーウェン。果たして、明暗は分かれたのだろうか。サッカーに詳しい人なら、この後の展開はよくご存知だろう。当時のR.マドリーには“怪物”ロナウドと“マドリードの象徴”ラウールという、絶対に外せないFWがいたため、新加入のマイケル・オーウェンは使われた試合でいくら結果を出しても、なかなか控えの扱いから脱することが出来なかった。ここまでサッカー選手として順風満帆に来ていたオーウェンのキャリアの中で、初めての挫折。結局、鳴り物入りで加入したものの僅か1シーズンで追われるようにR.マドリーを去ることとなり、失意で帰国したニューカッスル時代に出場したW杯でキャリア初の大怪我。そこからも長く現役を続けたが、結局は全盛期の勢いを取り戻せないまま、2013年、引退。

かたや、ロビー・ファウラーといえば、リバプールから放出された移籍先、リーズ・ユナイテッドで不死鳥のごとく復活する。その後マンチェスター・シティに移籍、そこでも好調を維持し、遂には古巣リバプールへの復帰を果たし、ファンから熱狂的に迎え入れられた。そこから先はまあ、ドサ回り的に色んなチームを渡り歩き、オーウェンの一年前、2012年に引退。
キャリア的に見ると、ファウラーはバロンドールを獲得したオーウェンには及ばないが、つい最近イングランドのサッカーファンに対して実施されたアンケート、「リバプール在籍時に活躍したストライカー・トップ10」では堂々の1位を獲得したらしい。
つまり、2人とも基準こそ違えども、それぞれ立派な評価を受けている。そんな2人の愛称は“ゴッド”と“ワンダーボーイ”。カッコいいじゃないか。

思うに、長いキャリアへの評価というのは、いい時もあれば悪い時もあるのは当たり前の話で、途中の一部を切り取ってそれだけで色々言うのは詮無いことだ。
その上で、観る者が記憶に残る印象を繋ぎ合わせて選手のイメージを作り上げるのは、事実と照らし合わせて正解ではないとしても、観る個々にとっては当然のことだと思う。つまり、観る者の数だけ、様々なファウラーやオーウェンが居るということだ。

 

そろそろまとめに入りたい。
とりとめもないこの文の肝とは、ロックンロール・スターだったりサッカー選手だったり他の色々だったり多くの人から耳目を集める人たちは、それぞれ色んな観客なりリスナーなりの思い入れ込みで存在してる訳だから、その思い入れの集合した、あやふやな部分を上手く使いこなして、自分が楽しく鑑賞するために面白がるのはいいと思うってことだ。そういう意味では、ここで九州・博多のベテランHIPHOPクルー、Tojin Battle Royalのアルバム『D.O.H.C.』に収録された、元横綱〜プロレスラーである双羽黒及び北尾光司の、今では当時の親方が金に汚かったなどの新事実の発覚によってその信憑性に疑問符が付く、主にネガティヴな従来のパブリックイメージに、確信犯的に則って丸々一曲分ラップしてる「哀愁SPORTS 冒険家」について言及しない訳にはいかないのだが、さすがに話が膨らみ過ぎるので割愛する。しかし、「フェイバリットカラー黄色のダークヒーロー」て。

 

というわけで、文字数を費やしてサッカー選手ロビー・ファウラーマイケル・オーウェンの対比、それにこの文の主役であるフランス産バンドTahiti 80Phoenixを重ね合わせてきたのだが、当然ながら、それらは俺の勝手なイメージの投影だ。いま名前を出した選手やバンドそれら同士に特別な因縁がある訳ではない。
前述の立ち読みした雑誌でのFantastic Plastic Machine 田中知之よろしく、自分のイメージに合う情報を都合よく繋ぎ合わせて、与太話を披露した訳だ。

それでも多少は事実関係を照合しとこうとWikipediaなんかで当時を調べると、俺の記憶との違いがままあって狼狽えたり。とりあえずそんなにサッカー大好きって訳ではない俺がロビー・ファウラーに興味を持つきっかけとなった事件、「ゴール決めた嬉しさのあまりに思わずゴールラインを鼻から吸い上げるパフォーマンスで気持ち良さをダイレクトに表現」が、対戦相手チームサポーターからの挑発に対しての行動だったことはいままで知らなかった。俺の中では、嬉しくってついやっちゃったけど各方面から物凄く怒られて試合後にしょんぼり謝罪会見させられてた奴という認識だったので、これはファンキーにも程があるだろと一気に興味が湧いたのだが。新事実に出くわすと途端に、躍動感溢れる愛すべきバカから、オアシスのギャラガー兄弟みたいなラッディズムアニキへと印象は変わるが、だからといって俺の中で育まれた、バカ可愛いフィクショナルなヒーロー、ロビー・ファウラーを殺す必要はないだろう。

ついでにいうと、マイケル・オーウェンマイケル・オーウェンで、キャリアの絶頂期で世界的なセレブリティだった筈の2004年に、何故だか日本の格安紳士服量販店のCMキャラクターに選ばれて「フレッシュマン オーウェンフェア」とかいう間抜けなキャッチコピーと共に、就活学生にも手を出しやすい値段のスーツ姿でTVCMに登場している。名前を使ったダジャレって、中堅演歌歌手とかじゃないんだからさ。確かに企業としては大手ではあると思うが、本人はブランドイメージとか広告のコンセプトとかをちゃんと把握していたのだろうか。スーツ姿が映える顔立ちだし、いかにも英国紳士然とした振る舞いのオーウェンはカッコいいのだけれども、ビシッとキメ顔のオーウェンに被さるコピーが名前を使った日本語のダジャレってのがねえ。もっと仕事選んでもよかったんじゃないかな。

つまり、この文のファウラーとの対比では、いけ好かない引き立て役みたいな扱いになってしまったが、オーウェンもまた、愛すべきキャラクターだということだ。

そうやってファウラーやオーウェンを愛すべきキャラクターと俺が勝手に認識しているのと同じように、Tahiti 80Phoenixを乱暴にキャラ付けして面白がってみた、という話でして。

 

それで、だ。
「So You Want To Be A Rock'n Roll Star」1曲のために購入したこのCD、さっそく家のPCに取り込んだところ、我が家のiTunesの云うところでは、どうやら既に登録済らしい。アーティストでTahiti 80を開くとアルバム欄に『Puzzle』と『Puzzle [Bonus track]』が並んでる。きっと以前にも酔った勢いで1曲のために買って取り込んだまではいいが、それで満足して、ろくに聴くこともなくそのまま記憶から抜け落ちていたんだろう。そうして忘れ去られたタイミングで、同じ盤を買ってきた今回、何年越しか判らないが、ようやく聴く機会が得られた、と。まあ聴きゃやっぱりカッコいいんだけれどね。

懐かしさで買うCDなんて大抵そんなもんだ。
というわけで、何の役にも立つことがなくなってしまったCDへのせめてもの弔いの意味を込めて、今回は文章量多めにお送りしてみた。

タージマハール

最後マニアという人たちがいる。さっき作った造語だが、言葉の意味はきっと察して頂けるだろう。
要はカレー屋でいうならば、普段は顔を出さないくせに、いざ閉店となるとそこにメモリアル要素でも感じるのか、途端にわらわらと湧いてくるタイプの客のことだ。その店を大事にしていた常連にとってはさぞかし迷惑な存在だろう。店からしたら有終の美を飾るのに丁度いい賑やかしにはなるが、だったら普段から来いよと常連には冷ややかに見られることは想像に難くない。ちょっと棘のある表現だが、まあご容赦願いたい。

 

というわけで、なんでそんな予防線を貼っているのかというと、けっこう前だがタイトルの通り、閉店する6月29日の新橋のタージマハールに俺が最後マニアとして初訪問を済ませてきたという報告なのだ。本当にすみませんでした。

 

出来ることなら最後マニアにはなりたくなかった。もともとカレーに興味を持ち出してから、ここにはいつか行きたいなとはずっと思ってて、でもなかなかそのタイミングがないままどうやら閉店するらしいよってニュースを受け取って、そんでスケジュール的に行ける日がもうそのラスト営業日しかなかったという話で。

 

通常営業でもけっこう並ぶという事前情報をキャッチしていたから、ならば当日は余裕を持って辿り着いておこうとの思いで早めの支度を整えるも、あんま普段使わない東京メトロの乗換にディレイされて、結局は開店ギリギリ前くらいに店舗に到着。着いてみるともう既に壮観な長蛇の列。ヤバい、こんなに人気なんだ。ちょっとナメてたかも。

 

並ぶのは好きではないので普段は行列が見えたらその時点でフェイドアウトする派なのだが、流石にその日は並ばずにはいられない。なにしろ予てから行こうと思っていたタージマハールの最終日だ。事前情報として知っていたが、今回は完全な閉店ではなくて近所への移転なので、同じカレーをまた食べられるっちゃ食べられるのだが、でも移転先では改名して、その名も「ガン爺」とのこと。じゃあ並ばずにはいられない。いや、「ガン爺」は「ガン爺」でぜひ行ってみたいけどね。それにしても「ガン爺」。鈍器で殴られたような衝撃的なネーミングセンス。

 

開店時間に既に出来ている行列なのだから、当然ながら進みは遅い。行列嫌い派の俺としては辛いシチュエーションの筈なのだが、音楽を聴きながら常に持ち歩いている文庫本を立ったまま読むことで対抗。するとこれが意外と悪くなくて、嫌ってる割に実は俺、行列ってわりかし平気なのかも、という自らの新たな一面を発見する。開店からしばらく経つと、食べ終わった客が徐々にはけ出して、少しずつ列が進む。階段を降りて折り返す辺りまで列が進むと音楽を止めてイヤホンを外し、いつお店の人に声を掛けられても大丈夫なように準備。

 

この辺りのタイミングで粋な常連客を見た。かなり早い段階で食べ終わり一旦店を出た、初老の、でもまだまだバリバリ働いていそうなイカす紳士が、恐らく店への差し入れであろう紙包を小脇に抱えて再度の来訪。適当な挨拶を交わしながら行列をすり抜けて、差し入れを渡すべく店内へ入っていった。
これは素敵な振舞いだと思う。想像してみよう。もし食べる前に差し入れを渡しちゃうと、お店の人に気を遣わせるかも知れない。そういう可能性がある。例えば、この人なんか一品サービスした方が良くないか、とかね、いや遣わないかもしれないけど。でも店の人になって考えても、そういう逡巡って困るよね実際。
それで、この人は気を遣わせてしまう可能性があるくらいに常連だったという自負があるんだろう。だからこそ、お店の人に変に気を遣わせないためのひと工夫として、普通に食べた後に一旦店を出て、その上で純粋に自分の気持ちを表すためだけに差し入れを持って来たのだろう。俺にはそう見えた。そしてその気配りは素敵だと俺は思ったね。
一連の流れを見ながら、この店はそういう気配りの出来るような洒脱な常連に愛されて続いてきた店なんだろうなあと理解した。素敵じゃないか。
そしてそんな風に感傷的になってる俺の、気持ちよくなれる推論とは裏腹に、現実には小道具を武器に大胆過ぎる横入りを成し遂げた男の目撃談であったとしたら、俺はもう何も信じられない。

 

やっとこさ店内に招き入れられ、店内奥のテーブルに誘導される。昼間は相席になると聞いていて当然その日も相席になったが、テーブルは割と広く、対角線上の同席の人ともそれなりの距離が保たれてて、居心地は悪くない。月替りメニューで一番人気らしいチキンハッサンを注文。出来上がりまでしばし待つ。

 

相席のテーブルで俺は相変わらず文庫本を読んでいたのだが、辺りのそこかしこの席では店員への挨拶の名残惜しさを込めた挨拶の声があがっていて、やはり常連でこの店は成り立っていたことを再認識。

 

そしてまた想像する。きっとここのランチは近隣の会社の伝統だったんだろうな。新人時代に同じ課の先輩に連れられて来て、いつのまにかハマって足繁く通うようになって、それで気が付いたら自分が部下の新人を連れて来てた、みたいな。
まるで高校時代の部活帰りに寄る駄菓子屋みたいな感じで、若干、昭和臭もするが、いい話じゃないか。
そしてそんなドラマが渦巻くなかで初来店の俺は、誰も気に留めちゃいないことは頭で判っていながらも肩身の狭い思いをするのだった。
なにしろ、ここはドラマツルギーに彩られた常連のための店だ。やってきたチキンハッサンをサクサク食べながら、勝手にそう判断した。その店の最終営業日にノコノコやってきた一見の俺みたいなののせいで、もし当日入れなかった常連がいたりしたらホント申し訳ない。
ホント申し訳ないことです。

 

その昔、女優の沢尻エリカが「諸悪の根源は全て私にある」と素っ頓狂な謝罪を表明したことがあった。態度の悪かった映画試写会へのバッシングに応えたブログでの出来事。
そしてこの日の俺はまるでそんな気分。周りからしたら藪から棒にどうした? って話。俺的には沢尻エリカの騒動は最高に面白い出来事ではあったのだが、初めて来たカレー屋でカレー食ってる頭の中に10年前の沢尻エリカが渦巻いてるとか、なんだか面倒くせえ。
とりあえず、「諸悪の根源を自任する」ってのは何かしら大幅な勘違いをした中学生みたいで、実は相当気分良い気になれる気がする。

 

食べ終わって会計を済ませ、腹ごなしに散歩がてら外堀通りをひたすら西に歩きつつ、考える。
そういえば沢尻エリカといえば、前出の『クローズド・ノート』の後、まあまあ話題になった映画『ヘルター・スケルター』でも主役を演じてて、俺的にはそれはいい配役だったと思うんだが、それ以上に、絡みのシーンでの相手役がこれまた俺的には最高に面白い俳優、窪塚洋介さんだったことを思い出す。これは印象深いキャスティングだ。もちろん俺の中での窪塚洋介さんとは、I can fly!!のひとである。あと卍ライン。

 

かたや諸悪の根源、かたや9階の盟主。ワクワクする最高のマッチング。赤坂見附あたりまでひたすら歩きながら、ふと胸が熱くなる。
そんな刹那的過ぎる、俺にとっての数少ない素敵な芸能人のふたりが、もしも当時を振り返って、あの頃は若気の至りだなんて恥ずかしがっていたら、俺はもう何も信じられない。

プラマーナスパイス

高井戸駅は改札はひとつだが出口は3つに分かれる。東急世田谷線の乗換に適した、改札を出てすぐ左側にある階段を降りて世田谷線の線路脇に出る出口と、改札を出て牛丼屋や本屋がある妙に薄暗いコンコースを直進し、その突き当たりを左右に別れる出口だ。左に降りると日大通りという商店街を日大方面に向かう道、右に降りると同じ道の反対方向で、しかし線路を境に名前が変わって駅前通りといい、一部で人気のジャズケイリンといううどん屋がある先は住宅街になっている。


このプラマーナスパイスという店は、コンコースの突き当たりから出た2つの出口の間にある。道路と線路が斜めに交差した、人通りがやたらと多い開かずの踏切の脇に店はあり、店の裏手にはご近所さんや街歩き好きで賑わっている下高井戸駅前市場が広がっている。この市場に入っている魚屋は新鮮で人気があり、また肉屋も評判がいい。夕暮れ時に、夕食のおかずの足しにと肉屋のコロッケを求める行列はこの辺りの風物詩だ。どうして俺がそんなことまで知っているのかというと、かつて下高井戸に職場があってここらに毎日通っていたからで、だからそれなりに土地勘はあるつもりだ。


とはいっても肝心のプラマーナスパイスは最近できた店らしくてまったく知らなかった。店の作りはなんだろう、クリーニング屋みたいな作りのカウンターに椅子を並べたというと判りやすいだろうか。これはもちろん店の作りの話で、調度品などは凝った物が置いてある。内装も落ち着いている。そして入口の扉は全開。外側から全容を容易に覗ける開放的な店だ。ちなみに夜は屋号を変えてバーとなる、最近やたらと増えた昼間だけ営業の、いわゆる「間借りカレー」だ。ちなみに昼間だけのみならず、営業日は金土の週2日だけという。扉全開なのに間口せっま。


話は逸れるが、夜に営業しているバーのことは記憶にある。入ったことはなくて前を通った印象なのだが、ヤカラっぽいのが店頭にたむろしてて、やたらと大音量でエグザイルみたいなのをかけていた店と記憶している。その音量に驚いて記憶に残ってる。なにしろ扉全開だからね。もちろん俺はエグザイルの曲なんて一曲も知らないので、その、ちょっと迷惑な音量の音楽が本当にエグザイルかどうかは判らない。ただ、エグザイルをちゃんと知ろうと思わない人間がイメージしたエグザイルを具現化したような音楽だったと思う。なので夜の店には正直、良い印象がない。まあそれも昔の話ですから。カレー屋は間借りだから関係ないし、そもそもバーも経営変わってるかも知れないし…。

 

熱暑が予想されながらも、時折降る小雨のせいか、割合に過ごしやすい天気の金曜の昼過ぎに行ってみた。暑そうながらそこまででもない気温の、雨上がりの日差しが柔らかい往来の中に開けっ放しの店は、なんだか映画『Rockers』に出てきそうな佇まいだった。特にそんな記号が店内に散りばめられている訳ではないけれど。


メニューはワンプレート1種のみで、その日はポークビンダルーだった。つい最近、自分でもポークビンダルーを作ってみて、その時は我ながら結構上手に作れた気でいたのだが、やはりプロの技を前にすると違いが歴然で暫し意気消沈、なんてことはなく目の前のカレーを美味い美味いとあっという間に食べ終わった。カウンターには色々な種類の、ご自由にどうぞ的なスパイスが並べられていたのに、それに気付く間もなく食べ終わってしまった。


夫婦なのかカップルなのか、はたまた只の仕事のパートナーなのか、男女でお店を取り仕切っている。女性が主に配膳などをしてくれたが、この人がお世辞抜きで美人だ。カレーだけでなくきっと人気が出るだろう。チラッと見えた男性もなかなか渋い感じだった。

 

さて、人通りの喧騒を背にカレーを食べ終え、ラスタ気分でひと息つく。それはなんとなく、暑そうていて実は涼しいという空気感で。そして食べてる間には気にならなかったBGMが、ふと耳に入ってくる。ここでかかっているのがUpsettersなんかだったら実に良い塩梅なのだが、実際にはFMラジオだった。そう、ラジオはラジオで味があっていいんだけど、あんな美味しいポークビンダルーを作る2人なんだから、音楽の趣味もきっと良いはず(偏見)。出来ればそれを覗き見たかったが、しかししょうがない。きっとJASRAC対策なのでしょう。こういうケースは結構ある。いちいち確認したわけではないが、数年前から飲食店に限らず店内BGMのラジオ率は上がっていると思う。もちろんJASRACにも言い分はあるだろう。でもなんかね。予め免罪符を大量生産しといて罪の意識と地獄の恐ろしさを説いて回る中世の宗教屋みたいに見えちゃって。

 

というわけで、JASRACの対処法を思い付いた。映画『Do the Right Thing』のラジカセのアイツの登場だ。これは妙案だ。つまり、常連にラジカセのアイツ、名前をラジオ・ラヒームというアイツを招き入れるのだ。そんで店の雰囲気に合った音楽を、いつの間にか気心の知れた仲になってたラジオ・ラヒームに持参したラジカセで鳴らしてもらえばバッチリじゃないか。「店などの施設で、市販のCDやインターネット配信された音源などにより、JASRAC管理楽曲をBGM(背景音楽)として流す場(JASRACホームページより引用)」ではなくて、あくまで、ファンキーな客が店に入ってきて爆音で音楽を聴いてることにすればいい。これで八方丸く収まってみんなニッコリ!

 

まあ、ラジオ・ラヒーム役のビル・ナンはちょっと前に死んじゃったんで、その気持ちを受け継いだ誰かがラジカセ担いじゃったらいいじゃない。誰でもいい、Do the Right Thing、良い事をしろ、だよ。でもだからといって、スパイク・リーの遺志をあまりにも忠実に受け継ぎ過ぎると、カレー屋の昼間営業の間だけでついついPublic Enemyの「Fight the Power」を15回も流しちゃうようなハメになって、たとえクラシック中のクラシックだとしてもいくらなんでも流石に暑苦しいから、音楽に興味ない人からすると結果的に夜のエグザイルとあんま変わんない状況に陥ってしまいそうなので、それはちょっと御免被りたいものですね。

 

Marcos Valle / Samba '68 450円

いわゆるマスターピース的な一枚。大昔にレコードで持ってたけど随分長いことタンテ壊れてるし、いちおうレコ棚探したけど見つからないのできっとどっかのタイミングで売ったっぽい。


この、かつて持ってたけど今はない、とか、一度も自分で所有したことはないのにイントロからアウトロまで口ずさめるくらい聞き馴染みがある、とかいうのには詩情を感じる。そういうのってそのCDなりレコードなりにまつわる、いちいちくだらないドラマがあるんだよな。
例えばそう、いまでも確かにあそこににあるはずだけど、取りに行けない事情がある、とかね。場合とか人選によっては、さり気ない借りパクのつもりがいまや唯一の遺品に、とかもあるかも。

 

それはまあさておき。

世界的に見ても貧富の差が激しいことで知られるリオデジャネイロにおいて、弁護士の息子として生を受けたマルコス・ヴァーリ 。育ちの良さがこれでもかと伝わってくるジャケからも伺えるような、優しい歌声と味わい深い瀟洒なメロディライン。ついでにいくつかの曲でデュエットやコーラスを入れている奥さんのアナマリアも、なんだかやたら歌が上手い。俺はこれをてっきり1stだと思っていたが、調べてみるとアルバムとしては4枚目らしい。ブラジル国内でリリースされた初期2枚のアルバムが、アメリカでの好事家から高評価、その機運を受けたアメリカでの発売1枚目インストに続いての2枚目で、よって英詞に挑戦したということで、その甲斐あってか人気を決定付ける分水嶺となったアルバム、とのこと。そういった触れ込みも頷ける素晴らしい出来栄え。


2曲「Crickets Sing for Anamaria」の、途中からガチサンバに突入するとこなんて聴いてて思わず興奮するし、次の「Summer Samba」は多くの人にカバーされて誰しもが一度は聴いたことある名曲。

 

つまり、このアルバムは素晴らしい。

 

しかし問題は、そこからもう少し先なのです。


80年代のマルコス・ヴァーリ。ぜひamazonでMarcos Valleと検索して欲しい。カテゴリはミュージックで。まず本人が薬物依存の深刻なポルノ男優みたいなルックスになっとる。そして、ここら辺は実際にはあまり中古CDとしては見ないが仮に店頭に並んでても手に取るのを躊躇う、そのとっ散らかったジャケのセンス。一周まわって数年前くらいからアリに近付いたけどやっぱナシは揺るがない的なセンス。端的に言って、ジャケの中に無駄なものがいっぱいある。見てるとなんかこれ、直に触るとペトッてしそうだなという嫌悪感がつい芽生える、というのは中古盤漁り特有の感覚かも知れない。

amazonの検索画面を見ていることを前提に話を進めているが、例えば83年のセルフタイトル『Marcos Valle』、ヒゲ面にピンクのVネックTのヴァーリ。南洋の果物と綺麗なカクテルに囲まれ微笑むの巻。小物含めてカラフルな色使いなのにバランスが悪すぎて、というか細かい部分までいちいち主張が強すぎて、見ていて漠然とした不安を覚えてしまう。


ちょっと遡って70年のセルフタイトル『Marcos Valle』のジャケも、なんでこんな構図になったのかサッパリ判らない。何故に裸体。ていうか小さくないか本人が。いや、そもそもセルフタイトルがこれらを含めて3枚あるって時点でとんでもない奴だなヴァーリは。普通に考えりゃ判るであろう周囲の迷惑を気にも留めないというのは、育ちの良い奴によくある困った問題点なのかも。

 

まあそれらのアルバムも、実は内容はそれなりに評価されてたりしているらしい。もともと持ってる音楽の才能は素晴らしいのだから、聴く分にはいいのではないのでしょうか。あんま中古屋で見ないけれど。 

 

というわけで、Marcos Valleが好きで好きで堪らない、ブラジリアン特有のノンビブラートな歌唱法に乗って一晩中踊り明かすほどのヴァーリピーポーだったらば、当然そこら辺も含めて要Checkしとくべき、などと無責任な助言を残して、今日の結びとしよう。

アンジャリ

下北沢にあるインドカレーの店。若くて人の良さそうな店主が、南インドスリランカのいいとこ取りをしたようなカレーを出している。いろいろ調べてみると2014年に開店したらしい。たぶん開店直後から時々行ってると思う。時々といっても、年に1,2回くらいだけどね。だからたぶん店主からは毎回初見の客だと思われてるんじゃないか。

 

下北沢駅の南口を出て、茶沢通りを三茶方面に少し下った右手側の路地を入っていくと店はある。奥まった店の入り口が道路に対して少しだけ低くなってて、スロープ状に下ってドアに到着する。この、道路から店に入るまでの少しの間にどうも趣きを感じる。店に辿り着くまでに南口の茶沢通りをテクテク歩くうちに身に纏った、街の騒々しさを振り払ってくれるような気分になるのだ。


やや薄暗い店内はカウンターとテーブル席がふたつほど。席数は少なめ。カウンターは正直狭いんだけど居心地はいい。まったく控え目ながら内装や調度品の数々は効果的に店内の雰囲気を柔らかくしていて、そのセンスは素敵だと思う。なにより、これ見よがしじゃないところがいいね。頑張ってても、頑張りました! って顔はしないというか。

 

カレーもそんな感じだ。
カレーの種類はそんなに多くなくて4,5種類くらいで、ときどき限定のカレーがそれに加わってて。行くと毎回だいたい2種類のカレーを頼むのだけど、気が付いたらエビのカレーはいつも選んでると思う。たぶんエビカレーがここの一番人気で、実際に美味しい。ただ、それ以外のカレーを頼んでも、これ選んでよかったという気分にさせられる。だからまあ全部美味しい。
それとライスの皿に乗っている副菜も気が利いている。味も良いが色合いが綺麗。最近では流行りの手法だが、開店当初からやっているこの店は割と先鋭的だったんじゃないか。いまだったらそれは「インスタ映え」という括りで片付けられそうな話だが、あくまでインスタ映えというのは写真を撮る側、観る側の感じ方であって、そしてインスタ映えという言葉には時として揶揄を込めた意味を持つこともあるが、その揶揄とは写真を介在した情報のやり取りに対して向けられたものであって、料理を作る人にとっては綺麗な盛り付けも当然料理の一部なのだから、どうか流行りの文言のネガティブな面にストレスを感じないように頑張って欲しいと思う。


こんな、誰に向けた願いかサッパリ判らないことを考えながら、ふとこの店のために「インスタ前にインスタ映え」というダジャレを思いついたので、意味が合ってるかインスタグラム日本語版の開設日を調べたら2014年の2月とかで、つまりこの店の開店よりちょっと早いという全く面白みのない結果になったのですぐに忘れたい。ちなみにインスタグラムのことは嫌いじゃない。俺もインスタで見かけたカレー食べに行くことあるし。

 

食べ終わり外に出て、右手を見ると下北沢の街中の通りがあり、ちょうど100均のダイソーなんかが見えるが、反対側を振り返るともうそこには住宅地がある。道幅も更に細くなっていて、その先は突き当たりなのか、曲がり角があるのか、ぱっと見では判らない。住宅地だから当然静かで、外からやって来た人間にはおいそれとは踏み込めない生活圏の雰囲気が張り詰めている。


もちろんこういうのの感じ方は個人差があるんだろうけど、俺はそういった、空気の変わり目に惹かれてしまう。その先にはどんな道が続いているのか。またはすぐに突き当たりに行き着いて、気まずい思いで引き返してくるのか。実は、曲がりくねった道を抜けると、ひょっとして思いもよらないデカい幹線道路に通じてたりして、なんて。

 

果たして、そこに住む人たちはアンジャリのカレーを食べにくるのだろうか。商圏としての下北沢にてやっているカレー屋に、生活圏としての下北沢に住む人たちは食べにくるのだろうか。想像は尽きない。とりあえず俺はまた初見の客のふりをしてまた食べに行こう。

 

前口上

瓢箪から駒でブログを始めることになった。


お題は、中古CDとカレー。

この組み合わせの妙よ。初めて入った店のカレーが思いの外辛かったみたいな話と、格安で買った中古CDをいざ開封したら予想以上に盤面の状態が悪くて悲しい、みたいな話が無駄に絡みあった、進化余地のあまりない多様性を目指す。


前以て表明する必要があると感じるので、以下を注意されたし。俺は店舗や料理写真は撮らないし、CDのクレジットを仔細に挙げることもない。つまり情報的価値を削ぎ落として記事作成を行う。