タージマハール

最後マニアという人たちがいる。さっき作った造語だが、言葉の意味はきっと察して頂けるだろう。
要はカレー屋でいうならば、普段は顔を出さないくせに、いざ閉店となるとそこにメモリアル要素でも感じるのか、途端にわらわらと湧いてくるタイプの客のことだ。その店を大事にしていた常連にとってはさぞかし迷惑な存在だろう。店からしたら有終の美を飾るのに丁度いい賑やかしにはなるが、だったら普段から来いよと常連には冷ややかに見られることは想像に難くない。ちょっと棘のある表現だが、まあご容赦願いたい。

 

というわけで、なんでそんな予防線を貼っているのかというと、けっこう前だがタイトルの通り、閉店する6月29日の新橋のタージマハールに俺が最後マニアとして初訪問を済ませてきたという報告なのだ。本当にすみませんでした。

 

出来ることなら最後マニアにはなりたくなかった。もともとカレーに興味を持ち出してから、ここにはいつか行きたいなとはずっと思ってて、でもなかなかそのタイミングがないままどうやら閉店するらしいよってニュースを受け取って、そんでスケジュール的に行ける日がもうそのラスト営業日しかなかったという話で。

 

通常営業でもけっこう並ぶという事前情報をキャッチしていたから、ならば当日は余裕を持って辿り着いておこうとの思いで早めの支度を整えるも、あんま普段使わない東京メトロの乗換にディレイされて、結局は開店ギリギリ前くらいに店舗に到着。着いてみるともう既に壮観な長蛇の列。ヤバい、こんなに人気なんだ。ちょっとナメてたかも。

 

並ぶのは好きではないので普段は行列が見えたらその時点でフェイドアウトする派なのだが、流石にその日は並ばずにはいられない。なにしろ予てから行こうと思っていたタージマハールの最終日だ。事前情報として知っていたが、今回は完全な閉店ではなくて近所への移転なので、同じカレーをまた食べられるっちゃ食べられるのだが、でも移転先では改名して、その名も「ガン爺」とのこと。じゃあ並ばずにはいられない。いや、「ガン爺」は「ガン爺」でぜひ行ってみたいけどね。それにしても「ガン爺」。鈍器で殴られたような衝撃的なネーミングセンス。

 

開店時間に既に出来ている行列なのだから、当然ながら進みは遅い。行列嫌い派の俺としては辛いシチュエーションの筈なのだが、音楽を聴きながら常に持ち歩いている文庫本を立ったまま読むことで対抗。するとこれが意外と悪くなくて、嫌ってる割に実は俺、行列ってわりかし平気なのかも、という自らの新たな一面を発見する。開店からしばらく経つと、食べ終わった客が徐々にはけ出して、少しずつ列が進む。階段を降りて折り返す辺りまで列が進むと音楽を止めてイヤホンを外し、いつお店の人に声を掛けられても大丈夫なように準備。

 

この辺りのタイミングで粋な常連客を見た。かなり早い段階で食べ終わり一旦店を出た、初老の、でもまだまだバリバリ働いていそうなイカす紳士が、恐らく店への差し入れであろう紙包を小脇に抱えて再度の来訪。適当な挨拶を交わしながら行列をすり抜けて、差し入れを渡すべく店内へ入っていった。
これは素敵な振舞いだと思う。想像してみよう。もし食べる前に差し入れを渡しちゃうと、お店の人に気を遣わせるかも知れない。そういう可能性がある。例えば、この人なんか一品サービスした方が良くないか、とかね、いや遣わないかもしれないけど。でも店の人になって考えても、そういう逡巡って困るよね実際。
それで、この人は気を遣わせてしまう可能性があるくらいに常連だったという自負があるんだろう。だからこそ、お店の人に変に気を遣わせないためのひと工夫として、普通に食べた後に一旦店を出て、その上で純粋に自分の気持ちを表すためだけに差し入れを持って来たのだろう。俺にはそう見えた。そしてその気配りは素敵だと俺は思ったね。
一連の流れを見ながら、この店はそういう気配りの出来るような洒脱な常連に愛されて続いてきた店なんだろうなあと理解した。素敵じゃないか。
そしてそんな風に感傷的になってる俺の、気持ちよくなれる推論とは裏腹に、現実には小道具を武器に大胆過ぎる横入りを成し遂げた男の目撃談であったとしたら、俺はもう何も信じられない。

 

やっとこさ店内に招き入れられ、店内奥のテーブルに誘導される。昼間は相席になると聞いていて当然その日も相席になったが、テーブルは割と広く、対角線上の同席の人ともそれなりの距離が保たれてて、居心地は悪くない。月替りメニューで一番人気らしいチキンハッサンを注文。出来上がりまでしばし待つ。

 

相席のテーブルで俺は相変わらず文庫本を読んでいたのだが、辺りのそこかしこの席では店員への挨拶の名残惜しさを込めた挨拶の声があがっていて、やはり常連でこの店は成り立っていたことを再認識。

 

そしてまた想像する。きっとここのランチは近隣の会社の伝統だったんだろうな。新人時代に同じ課の先輩に連れられて来て、いつのまにかハマって足繁く通うようになって、それで気が付いたら自分が部下の新人を連れて来てた、みたいな。
まるで高校時代の部活帰りに寄る駄菓子屋みたいな感じで、若干、昭和臭もするが、いい話じゃないか。
そしてそんなドラマが渦巻くなかで初来店の俺は、誰も気に留めちゃいないことは頭で判っていながらも肩身の狭い思いをするのだった。
なにしろ、ここはドラマツルギーに彩られた常連のための店だ。やってきたチキンハッサンをサクサク食べながら、勝手にそう判断した。その店の最終営業日にノコノコやってきた一見の俺みたいなののせいで、もし当日入れなかった常連がいたりしたらホント申し訳ない。
ホント申し訳ないことです。

 

その昔、女優の沢尻エリカが「諸悪の根源は全て私にある」と素っ頓狂な謝罪を表明したことがあった。態度の悪かった映画試写会へのバッシングに応えたブログでの出来事。
そしてこの日の俺はまるでそんな気分。周りからしたら藪から棒にどうした? って話。俺的には沢尻エリカの騒動は最高に面白い出来事ではあったのだが、初めて来たカレー屋でカレー食ってる頭の中に10年前の沢尻エリカが渦巻いてるとか、なんだか面倒くせえ。
とりあえず、「諸悪の根源を自任する」ってのは何かしら大幅な勘違いをした中学生みたいで、実は相当気分良い気になれる気がする。

 

食べ終わって会計を済ませ、腹ごなしに散歩がてら外堀通りをひたすら西に歩きつつ、考える。
そういえば沢尻エリカといえば、前出の『クローズド・ノート』の後、まあまあ話題になった映画『ヘルター・スケルター』でも主役を演じてて、俺的にはそれはいい配役だったと思うんだが、それ以上に、絡みのシーンでの相手役がこれまた俺的には最高に面白い俳優、窪塚洋介さんだったことを思い出す。これは印象深いキャスティングだ。もちろん俺の中での窪塚洋介さんとは、I can fly!!のひとである。あと卍ライン。

 

かたや諸悪の根源、かたや9階の盟主。ワクワクする最高のマッチング。赤坂見附あたりまでひたすら歩きながら、ふと胸が熱くなる。
そんな刹那的過ぎる、俺にとっての数少ない素敵な芸能人のふたりが、もしも当時を振り返って、あの頃は若気の至りだなんて恥ずかしがっていたら、俺はもう何も信じられない。