スパイスポスト

結論からいうと、この店は美味しい。そりゃあもうかなり美味しい。みんな通った方がいい。

 

しかしだ。スパイスポスト、俺の中ではそれだけでは済まない、なんだか興味をそそられる不思議な店という印象がある。カレーを食べてただ美味かった、その満足感だけではなく、よく判らない不思議な感覚を受け止めつつ、いつも店を後にすることになる。何故なのか。それを今回は探りたいと思う。

 

代々木八幡。渋谷や恵比寿といった判り易い記号性がなくて、その分だけ純度高めなお洒落エリア。そして、山手線のちょっと西側という、俺の生活圏ともやや被りながらも微妙に縁遠い場所で、交通機関的になかなか行き辛いエリアでもある。どうでもいい話だが、俺にチャリがあればスパイスポスト、多分めっちゃ通ってると思う。逆に車では面倒で行く気がしない、そんな代々木八幡。あの辺り駐車料金高いし、なんか道狭くてゴチャゴチャしてるし。あー、チャリ欲しいなあ。

 

地方出身の俺にとって、バスとは公共の交通機関との認識を持つ対象にならない。地方のバスなんてそりゃあもう酷いもんだから。なので、目的地に向かってバスでお出かけってことは普段はないのだが、地理的条件によって代々木八幡にはバスで行くことになる。

 

普段乗らないバスは結構ホラーだと思う。そんな風に思った経験ってないですか?
とにかく予想だにしない、意表を突く突発的な出来事がやたらと起こる。座席に身を沈めアポ取った相手との交渉を脳内でシミュレートしつつ、もうあとちょっとで着くかな〜なんて思っていたら、聞いたことのない病院の前のバス停で自分以外のほぼ全員である老婆の群れが大挙して下車するのに数分待たされ、更には全取っ替え気味に新たな大量の老婆が数分かけてヨタヨタ乗車してくるのをずっと眺めさせられたり、オフの日の気まぐれで乗った、静まり返ったバスの昼下がりの車内でついうたた寝してたら、名門風な私立小学校前のバス停でお行儀の良い制服を着た利発そうな子供達が、それでも年相応にキャアキャアはしゃぎながら何十人も乗り込んでくる騒々しさで強制的に起床させられたり。しかしこうやって文字にしてみると、ただちょっと我慢してれば済む出来事なのにいちいち大袈裟に取り上げてるようで、心が狭いな俺は。

 

その日のバスは乗客もまばらで、空席もそこらにあったが、途中のバス停でご年配の方々が乗り込んで来て座ってる俺の目の前に立たれる恐怖心から、つり革に掴まり立っていた。恐るべき気まずさを未然に排除。その時の俺はバス前方の乗り口から入り、一律料金をパスモで支払ってから、バス中央に位置取った。まあ当たり障りない身のこなしだったんじゃないか。後からホラーが襲ってきても対処の仕様はあるだろう。

 

そんな安心感の中でゆらゆら揺られてスパイスポストが待つ代々木八幡を目指していたのだが、そこに登場したのが、ベビーカーを押した若い母親。停車したバス停で、バス前方の入り口から当人だけ車内まで身を乗り出して運転手さんにひと言ふた言交渉し、支払いを済ませたらさっと踵を返して、特別に開けてもらったバス中央の降り口から、ベビーカーをよいしょと担ぎ上げてワイルドに乗車。確かに、乗り口よりも降り口のほうが間口が広いからね。ここでベビーカーと俺が横並びになる。

 

まず、若い母親がベビーカーを担ぎ上げて乗車する段階で、それを正面で迎え入れた俺に逡巡が到来する。すなわち、手を差し伸べるべきか否か。これ、世の成人男子からしたら結構難しい問題なんだよな。別に俺は筋骨隆々な男子ではないし、そして実際にそう見られることはまずないだろうが、流石に女性よりは力は強い。なのでシチュエーション的に手助けしてあげたくなるんだけどね、これが難しいんですよ。

 

母ひとり幼児ひとりの状況って、当然ながらお母さんは気が張ってる。防衛本能。なので当然、緊張感漲る。そこへ見知らぬ男性が唐突にベビーカーに手を伸ばしてくるとしたら、お母さんの受け止め方次第では、これはもう充分にホラーだ。そういった、世の幼児を持つお母さん方が感じるであろう心理的ハードルを、軽やかに飛び越えて的確に手助け出来るような才覚が果たして俺に備わっているのだろうか? そんな逡巡がやってくるのです。

 

俺が普段からのべつまくなしに誰彼なくお喋りに高じてるような昭和の吉本芸人みたいなタイプならば、なんか適当な挨拶と世間話を散りばめながらすっと手助け出来るだろうが、残念ながらカレー好きにそんな世慣れた奴はいない(偏見)。

 

なので、若い母親のワイルド乗車以降、バスの運行状況によるベビーカーの揺れに従って、横で見てる俺は咄嗟に手を伸ばそうとしたりしなかったりで、でも客観的にみた現実の俺はただベビーカーの横で立ち尽くしていただけで、特に何も行動に移してはいない。しかし何もしていないのに心に去来するものすごい徒労感。ヴァージニア・ウルフばりの心の揺れがバスの揺れと同期する気分。それか『12人の怒れる男』か。これがバスの恐怖。

 

以前、乗ったバスでこんなことがあった。
俺の座ってる座席の近くに老婆が立った。色々考えるが、まあしょうがない、覚悟を決め席を譲る。ここで俺が、普段の会話では大体いつも小声で聞き取り辛い発声の癖に、何故かこのときだけ妙に通る声で老婆に声をかけてしまったことから悲劇が始まった。

 

「あ、どうぞ。ここ座ってください」
こんな感じで俺の声が車内に響き渡った。車内中に席を譲った奴がいることが認知されただろう。もしかしたら、声をかける直前に外したとはいえ、イヤホンでずっと音楽を聴いていたことも必要以上に大声になったことに影響しているのかも知れない。しかし声のデカい奴なんてそこらにいる。そのときの俺の所作は、いま思い返してもどこにも落ち度は無い筈だ。ただ唯一の誤算は、老婆が、老婆のくせに割と元気な奴だったことだ。

 

「あらどうもありがとう、でも大丈夫よ」
俺の、振り絞った勇気のちっぽけさを嘲笑うかのように、満面の笑みでにこやかにノーサンキューの返事を打ち返してきやがる。おいおい、リターンエースか。

 

「いやいや、俺もう降りますし」
大袈裟に感謝されることへの気恥ずかしさに少し距離をとってつり革に掴まる、なんてその後の身の振り方を考えてた俺の予想をまんまと裏切る展開に、思わず瞬時に口から出た適当な作り話でなだめすかしてなんとか俺の空けた席に老婆を座らせようとするが、和かだが強情な老婆は、聞いてない健康自慢話などを散りばめながら俺に応答して、I stand here とばかりにガンとして動じずその場に立ち続けた。オープンリーチ気味に衆人環視のもと勇気を振り絞って席を譲ったもののサクッと振られたことで惨めな晒し者になってしまった俺は、すごすごと引き返して元居た席に座り直すような屈辱に耐えきれず、かといってずっと老婆の横で呆然と立ち尽くすわけにもいかず、さっき口から出た、老婆をなだめるための作り話を、プロ野球敗戦処理投手のごとくこなすべく、場所も確認しないままポチッとブザーを押して次のバス停で逃げるように降車。

あー、もうこれ全然知らない場所。

 

降りる際にチラッと振り返ると、俺の空けた席には、相変わらず立ったままの健康自慢な老婆よりはまだ少しは若そうなオッさんがせせこましく座り込もうとしているところだった。
オッさん、座るのはいいんだけど、ところでそのフィッシングベストってなんで着てるの?

 

結局その後、目的地まで30分強はうろうろ歩き続けるはめになって俺にバスの恐怖を叩き込んだ、かつての悲劇的な記憶を苦々しく振り返りつつ、その日の俺の耳にはいってきたのは無事に降車予定のバス停への到着のアナウンス。おお、代々木八幡よ! 無事着いた!

 

ところでとなりのベビーカーは、道中の降車客が多いバス停ではベビーカーごと一旦道路に出て乗客のスムースな降車を促しつつ、降車客が降り終わるとまた担ぎ上げて乗車するというワイルドな気配りを見せたりしてた。お母さんすげえ。

 

バスが速度を緩め、停車する。
まあまあ残ってた乗客はみな終点の渋谷まで行くのか、目的のバス停で降りたのは俺とワイルド母さんwithベビーカーだけだった。
バスを降りたワイルド母さんは、車内での異様に周りへ気を配った、大人びた利他的な行動の数々が嘘のように、ベビーカーに乗る我が子に向けて、正直ちょっと気持ち悪いくらいの甘ったるい猫撫で声で話かけている。きっと本人も懸念していたバスを無事に乗り終えたことで、気持ちが緩んだのだろう。その背中に向けて、いろいろ思いは巡らせながらも具体的には全くなにひとつ手助けしなかったことを詫びる、もちろん心の中で。表面上はまったく素知らぬふりで。いや、育児だけで大変なんだから、そんな気を張らなくていいと思うよ、これはマジで。でも心の中で、素知らぬふりで。
この、相手のことを慮った結果として距離を取った方がお互い幸せである、という思考パターンは、果たして親切なのだろうか、それともただのチキンか。今度「もりのくまさん」を作詞作曲した奴にでも訊いてみたいところだ。

 

というわけで、遂に着いた。お洒落エリア代々木八幡だ。
正直、メインストリートにはそんなにお洒落感は漂っていない。代々木八幡のお洒落店舗は何故か異様なほど路地裏に拘っていて、店によってはものの見事に四方をケモノ道というか裏路地に囲まれてるようなツワモノも存在する。もはや鉄壁の守り。しかし地方出身者の俺からするとそういうのを見る度に、中学生になったお兄ちゃんが裏庭にコンテナ置いて自分の部屋作ったって〜、みたいな子供の頃どっかで聞いたようなセンチメンタルに引き込まれそうにもなる。そういう風に見える人もいるんですよ。

前に行ったことのある、まさにそういう、竹取物語でのかぐや姫の初登場シーンのような立地にある有名な洋菓子屋さんも、グーグルマップ泣かせな裏路地を伝って行く、こじんまりとしたお洒落店舗で、ちっちゃいながらイートインスペースを一席だけ設けているんだけど、それが外から見えるお洒落なショーウィンドウの真ん前。つまりはその店でイートインしたら、ソロで食ってる奴がもうまんま店の広告塔となるのだ。まるで常在戦場な戦国武将ばりの豪快な胆力が備わってないと、あそこでスウィーツ食えるほどの漢にはなれないだろう。

 

今回の主役、スパイスポストは、そんな多くの代々木八幡のお洒落店舗とは違い、割と親しみやすい通り沿いにある。店構えも、誰もが安心してフラッと寄れるような造作だ。
とはいえ、内部はちょっと変わった造りをしている。入り口が隣り合った二つに分かれてて、奥で繋がってる。果たしてこの説明で理解して頂けるだろうか。行ったことがある人には判ってもらえると思うが。左の入り口から入って直ぐ正面のカウンターに座り、右側の壁に身体を預けてカレー食ってたら、頭の直ぐ前に穿たれた窓越しに隣の入り口から入った人がテイクアウトの注文し始めたりする。

 

そんな造り。

俺はこの造りを見る度に、ディズニーランドのスプラッシュマウンテンを連想してしまう。スプラッシュマウンテン、あのアトラクションのハイライトは、あの勝手に写真を撮られる、大きな滝から落ちるところだろう。
しかしスプラッシュマウンテン、実はその後が長い。滝から落ちたその後の、段々と雰囲気がシンミリしていく過程の、光量の落ちた壁の隙間から覗く作り込まれた奥行きとか、ドップラー効果で笑い声の効果音が徐々に低く遠ざかっていく感じといった雰囲気が俺はすげえ好きなんだけど、スパイスポストの不思議な店の造りからは同じような風情を感じる。というか、店に入って窓から覗いたらまた店内って不思議さが、スプラッシュマウンテン終盤の壁に似通ってるって話だ。頭の直ぐ上から「すみません、持ち帰りで〜」なんて声を不意に聞くたび、あのゴンドラに揺られながら、壁の向こう側を覗いてみたいって気持ちを思い起こすんだな。

 

そんな通好みな風情の充満した店舗でカレーを食う。だいたいいつも2種盛にするが、体感的にはポークは売り切れている率が高い。でもどれ食ってもだいたい美味いので問題ない。

 

そして更に、美味いだけではない。
量が多い。
器を受け取って、その時のずっしりとした重みで気付いてる筈なのだが、食ってる最中に改めて皿の深さを感じる。もうスプーンの刺さりが違うから。ザクッていくから。

 

そしてこれは有名だが、どうやらチキンカレースープを自由におかわりさせてもらえるらしい。そんでライスのサイズは400gまで注文できるとのこと。もしも俺が育ち盛りのアンファンテリブルだったならば、もう毎日通ってカレースープおかわりしまくって、純粋培養の実験動物みたいになってたんじゃないか。

 

しかしながらいまの俺はもうそんな莫大な量を平らげるような柔軟な胃袋は持ち合わせてないので、常にライスは一番少な目で、それでも普通にお腹いっぱいになるため、残念ながらカレースープのおかわりはしたことがない。
あとは西インド風ポテサラは必ず頼んでいる。俺の乏しい知識ではこのポテサラのどの辺りが西インドなのかいまいち判別がつかないのだが、とりあえず食う分には美味い。

 

という訳で、ここに来ると美味いもので腹を満たすので非常に満足する。

 

印象的な窓から覗く風景は、実際には持ち帰りの行列だったりだが、ついつい幻視するのは、まるでジョルジョ・デ・キリコの絵か、アレハンドロ ・ホドロフスキーの『リアリティのダンス』の街並みか。そんな物哀しくも美しい風景を幻視していられたらカレー好きにとって本当にしっくりくる店なんだけど、しかしそうはならないんだな。何故か。ここで冒頭の問題提起に戻る。

 

カレー好きがカレー作って、そこにカレー好きが集まってきて、カレー好きが好きそうな空間で美味い美味いと食べる。それはとても美しい世界だとは思うが、どこか閉じている。そう感じる。

 

その点において、この店、スパイスポストからは、どうもその閉じた空気を感じない。これは悪い意味ではない。
もともとはたこ焼き屋やバーを運営している店の昼営業という前情報から、俺が勝手にそういう印象を持っているのかもしれないが、好きが高じて店を始めた人によくある、同好の士に対する甘えみたいなものは、この店からは感じられない。
同好の士というような親しみよりも、きちんと線引きをしたプロ意識が強く出ているように思う。そしてそのプロ意識の持ち方にオリジナリティがあってカッコいいと俺は思うんだな。ちょっとややこしい話だが、まあ判って欲しい。

 

つまり、出してるカレーは最先端の流行を確実に芯で捉えていながら、カレー屋としての在り方はちょっと異端の存在になっている。そんな風に思ってしまう。
開店時間が人知れずどんどん早まっていってるのも、所謂みんながイメージするカレー屋をやろうとは更々思ってないことの表れのひとつなんじゃないか。

 

これは、アレだ。
Beastie Boysみたいだ。
Bad Brains憧れてイニシャルがB.Bとなる名前にしたように、ハードコアパンクバンドとしてキャリアをスタートしながら、自分達の方法論を考えてたらいつの間にか独自なHIPHOPに移行してた、いやまあDEFJAMのロック化路線に乗っかったって部分もあるのかもだが、そんな感じ。そしてHIPHOPに移行しながら、いかにもそれ風な路線とは一線を引いてる感じ。
HIPHOPというとやたら4大要素とかを重視するけど、それに対して敬意は持ちつつ、でもそれよりも自分らのインディペンデント精神のほうが大事。
俺なりのビースティ観はそういうものなんだけど、そんな、Beastie Boysのオリジナルな立ち位置と近いものを、俺はこの店から感じ取ってしまう。

 

その証拠に、ぜひ聞いて欲しい。
この店の人の、カレースープのお代わりを勧めるやたら節回しのついたクセのある声を。
まるで若い頃の故アダムヤウクみたいじゃないか。
「はい、カレースープおかわりできますよ〜」って声が、心なしか「ブルックリンまで寝れないよ〜」ってな具合に聞こえてくる。

 

だから、カレー屋としてどこかしらしっくり来ないのも当然なんだな、俺の中では。むしろそのズレこそがこの店の凄さなんじゃないか。つまりグランド・ロイヤル的異質感。なるほど、スパイスポストってグランド・ロイヤルだったんだな。

 

俺がこの店に初めてきた時に、満ち足りた気持ちとこの人(MCAっぽい人)の醸し出す威勢のよさにほだされて、ついつい去り際に「ごちそうさま、すっごく美味しかったです。また来ます」なんてことを、キャラにもなく口走ってしまったことを思い出す。
実際に凄く美味かったし、それからも何度か行ってるので特に問題のある話ではないのだが、こういうお店の人へのリスペクトを前面に打ち出す態度って、普通のカレー屋じゃあんまりないなと思ったんだが、今回、このお店の立ち位置を考えてみて、その独自性にあらためて気付いた次第だ。

 

だって、なんかラーメン屋や居酒屋みたいじゃない? お店の人つかまえて過剰にコミュニケーション取っちゃうのって。

 

要はこれは、その時のことをあとから振り返ってちょっと恥ずかしくなった俺が、どうにかして自分の中でその言い訳をしたくなって編み出した文章なのである。
それではお付き合い頂き、どうもありがとう。

 

あと、歳取って席譲られたら、大人しく座ってくれ。