きんもち

映画『ロスト・イン・トランスレーション』は、パークハイアットを舞台として幕を開ける。
アメリカのセレブリティ同士が日本で偶然知り合い、日本でのマイノリティとしてのひと時の連帯感を共有しながら、やがて自然とそれぞれ別の歩みを進めていくというストーリーだ。

 

パークハイアットは、言わずと知れた東京屈指のラグジュアリーホテルのひとつで、日本を訪れる世界のセレブリティが宿泊することで知られている。
そのロケーションは、都庁を中心とした新宿新都心を横から眺める場所に位置し、眼下には都庁と隣り合った新宿中央公園の綺麗に整備された緑が広がる。高層階から遠くに目をやると、南東の方角には東京タワーが顔を覗かせ、よほど目がいい人ならば、空気の澄んだ日の北東にはスカイツリーだって見えるかもしれない。そんなロケーション。

 

そして何よりも、きんもちのカレーを食べる上ではベストの宿泊先でもある。

 

順を追って説明しよう。
これは、貴方がきんもちのカレーを食うために、きっと重要な役割を果たす説明となるに違いない。

 

まず貴方がきんもちのカレーを食すべくパークハイアットに宿泊するとしよう。きんもちに向けた期待で抑えきれない興奮を鎮めるべく、ナイトキャップとして部屋に備え付けられたアルコールを軽く摂取し、いい気分のなかで眠りに就く。
当然、翌朝の目覚めは素晴らしい。大きい窓から覗く公園のグリーンは心地よく、ラルフローレンの評したニューバランスのごとく雲の上を歩いているような気分だろう。自ずと軽やかな足取りで、貴方は西新宿の地上に降り立つのだ。

 

やや複雑な形状のエントランスを抜けると、亜細亜の魔窟こと新宿にも関わらず、目の前にはカラリと広がる爽やかな空。テンション上がってそのままニューバランスどころかトレイルランシューズ履いて公園にフリーランで突入したくなるが、今日の本題はきんもち。とりあえず落ち着こう。

 

まず、パークハイアット目の前に横たわる道を左折。するとホテルの並び直ぐに消防署があり、前を通り過ぎると交差点がある。
交差点の横断歩道を渡る。渡った先にあるのはこれがなんと作業服屋。

 

最近よくあるワークマンとかいう、妙に小洒落ててあわよくばアウトドア好きにもアピールしようとか、さもしい皮算用を引いてる今時のワークウェアブランドとは一線も二線も画す、年季の入ったプレイヤーからプロップスを集める情緒丸出しのプロユースなワークウェアがこれでもかと陳列されている。
これは嘘偽りなくなく本物志向、間違いない。そもそも看板が夜ともなればミスター原色な電飾を駆使して、本物である旨を宣言している。黄色い壁に映える赤と青のネオンサイン。安全、現場、キラッキラ。
キッチュでデコラティブな、ジョン・レノンをHeroに頂くワーキングクラスのデイリー日本の世界観、が百花繚乱。ワールドワイドな視野で見て一部で熱狂的なヘッズを獲得しているらしい菅原文太『トラック野郎』ライクなデコトラとかとも通底する美意識を世界にアピールするまたとない機会だ。

 

しかしながらまだ時間はA.M.な頃。ネオンサインを目撃できる時間帯ではない。いま一度落ち着こう。そして多分、きんもちにどれだけ通ったところでその電飾を見ることはないだろう。
何故なら、きんもちは平日のみの11時OPENで13時過ぎには大体売切れ閉店になってしまうというファナティックなピンポイント営業、つまり新宿なれど馳星周的世界観とは真逆の意味での不夜城(夜やってないという意味で)、だからだ。
ホワイト過ぎる新宿、それもまた逆にILL。

 

先を急ごう。
渡った先を左に曲がる。そうするとほんの少し、区画を半分ほど歩いただけで約束の地は見えてくる。
軒先の小さな看板が目印だ。凝視して見てみよう。
ILLなフレイバーを漂わせたサルのキャラクターが躍っている。

 

そう、そこがきんもちだ。

 

まずは改めて注視して頂きたい。
無限ILL最前線なこの看板、一体きんもちに何があってこんなデザインにしたのかは皆目見当が付かないが、もう悪いことは言わないから即刻通報したほうがいいような、今にも天下一ILLERとか言い出しそうな猿の表情。
いや、人によってはそんなILL過ぎる秘訣知ってる前情報で血湧き肉躍るかも知れないが、お店自体は至極真っ当なカレー屋さんなのだからね。ホント美味くてちゃんとしてるカレーを廉価で提供する、いい店だと思う。だからこその看板の違和感。いや、ILL感。

 

説明に戻る。
きんもちの店頭に着いた。あたりを見回すと何故だか知らないが、店頭付近ではでかいスーツケースを引いた外国人旅行客がたむろってることが多々ある。ほんとコレ何故なんだ。ていうかアイツらなんなんだ。しかしあまり気にしなくていい。臆せず入店しよう。
しかしその前に、店頭の券売機でチケットを買うことを忘れてはいけない。そして多分違うだろうと頭で判ってても、いちおう付近でたむろってる人たちに念のためきんもちの券売機に並んでるのか訊くのがカレー喰いのマナーだと思う。

 

チケットを買った。さあ入ろう。

ここからがまさに説明の必要な難易度高めなステージだ。

 

どういうことか。
大抵の場合に於いて、店内は人で溢れかえっている。時と場合によっては店外まで行列が伸びてることもあるが、それは最後尾に並んでりゃいいので問題ない。それも引っ括めて、この店は人気店なのだからしょうがない。
しょうがないが、店の難易度を高めている理由が人で溢れかえってる店内に秘められている。
それは店内の列の規則性が初見殺しということだ。

 

俺の知っている限りを伝えたい。
まずは入り口の右手側にある小ぶりなソファー、ここがポールポジションだ。待つ場合、ここから並び始める。きっと開店当初の待ち客はこのソファーだけでまかなえていたのだろう。しかしいまやそんなレベルの列ではない。ソファーの横に立った行列が入り口のドアまで埋まると、打って変わって次の先頭は店内左奥にあるトイレの前だ。そうしてまた入り口まで並び始める。この規則性はまず間違いないので、覚えていて欲しい。

 

問題はこの先。トイレ前からの行列が入り口まで埋まると、その先は俺は知らない。
きんもち only knowsである。
いや、普通に考えたらそのまま店外行列だろうが、しかしそれはあくまできんもちの決める領分だ。だからこそ、きんもち only knows。

 

などと、まるでBeach BoysのGod only knowsサビリプライズ前に訪れる、急にリズムが切り替わるときのようなカクカクした行列の進み具合は思ったよりも早く、ホントちゃんとしたホール担当のお姐さんから食券を奪われ、代わりにプラスティック札を渡される。

 

ここでジャッジは下される。
この、食券からプラスティック札への移し替えってぶっちゃけ意味なくない? ひょっとして二度手間なのでは? とかいう疑念がもし貴方に湧いてきたならば、それはもう無意識レベルで直ちに全力で否定されなければならない。だからちゃんとごめんなさいしよう。
かねてより美味いカレーをリーズナブルに提供し続けてきたきんもちの研ぎ澄まされたルーティンに疑念を持つなんて、そんな無礼を働くカレー好きは居てはいけない筈だ。だって様式美から育まれる文化もあるのだから。まるで扇子で蕎麦を手繰る仕草を磨く江戸前落語家ばりに文化を育んでるお姐さんが目の前にいるのだから!

 

そうして周りに悟られないように勘繰りの非礼を必死で詫びてる最中にアイツはやってくる。
アイツ、そう、野菜カレーの到着だ。貴方の買った食券はどうせ野菜カレーに決まってるので何の問題もない。仮にエビカレーやチキンカレーだったとしてもそっちも結局美味いので、やはり問題ない。
そして恐らく、貴方の辛さは10辛だろう。食券渡す時に聞かれる。だが意外と辛いから気を付けて欲しい。エチオピアのノリで頼むとその違いに難儀するだろう。俺的にはきんもちの10辛はエチオピアの30辛くらいの辛さに感じる。どっちがいいとかでなく、要するに数値の刻み方が違うってこと。12inch Vinylと12cm CDくらいの違いと思って差し支えない。

 

さてそうして、テンガロンハットは10ガロンだから、つまりそれって何リットルよ? 的なプリミティブな算数に思考を惑わされながら、やってきた野菜カレーを食う。美味い。代謝も促進されていい感じ。ここの野菜カレー、ホント美味い。俺的には夢民からのインスパイアドを感じるが、果たしてどうなんだろうか。

 

というわけで食い終わった。汗もかいて清々しい気分。腹を満たしたらもう用はない。だってそういう店だからね。直ぐに席を立って、ごちそうさまでしたの挨拶を忘れずに店を後にする。

 

公園まで戻ると、目の前に広がる都庁周辺の西新宿の風景。『ロスト・イン・トランスレーション 』ではあまり取り上げられていなかったが、ここらは絵になる景色だと思う。

 

そんな中、カレー後の食休みに、都庁の敷地内にところどころある、用途不明なものだけで構成された謎モメンタムに囲まれてスパイスによる発汗作用が引くのを待つのも良し、はたまた、きんもちからワークウェア(作業服)屋を通り越した道路の向こう側、オフィスビルにしか見えない建物の途中階にまるで秘密基地のように存在してる区立角筈図書館にアサインするなんてのもまた、素敵じゃないか(B.ウィルソン風に)。

 

遥か昔、ここいらに高層ビル群ができる前は淀橋浄水場があり、更に淀橋浄水場ができる前は落ち着いた農村地帯だったという。もちろん俺はそんな頃を知ってる訳ではないが、その名残りは感じ取れる。まだブログで取り上げてない、きんもちからちょっと先にあるカレー屋、コチンニヴァースの辺りの畝りまくった道路事情なんて、まさにそんな感じ。細かい地形に沿って道ができたっぽい名残だろう。勝手にそう判断したが史実は定かではない。まあイメージで。

 

随分と『ロスト・イン・トランスレーション』からは離れてしまったが、それは仕方がない。何回か観たとはいえ、そもそも俺はこの映画にそんな深い思い入れがある訳ではない。
映画で印象に残っているのは冒頭のシーン以外は、物語中盤、日本人のいい歳の大人が主人公をアテンドし、夜遊びに繰り出して深夜のクラブで激ダンシンするシーンで鳴ってた音楽が、前にもちょっと取り上げたPhoenixっていうのにビックリしたくらいだ。いくら彼氏だからっておかしいだろソフィアコッポラ(フルネーム呼び)。流石に爽やか過ぎじゃないか夜中にいい大人が。
あとそういえば、あんまりコテコテなB-boyではない最近の日本のヒップホップグループのWHALE TALXという人たちが、Phoenixの『Lisztomania』をかなり大胆にサンプリングして曲作ってた。その名も『Fossilmania』。化石か。そのトラックに乗せて恐竜についてラップしてた。ブラキオサウルス、草木を食むツールだって。

 

それはさておき、西新宿だ。
地下鉄のザジ』とはレーモン・クノーの書いた小説だが、ルイ・マルの監督した映画の方が有名だろう。地下鉄に憧れる10才の少女ザジが花の都、パリで騒動を繰り広げる話だ。この映画のラストシーンはオカマバーでの乱痴気騒ぎ。ザジのパリでの保護者である叔父は、実は夜はオカマバーのマダムという顔を持っていたのだ。

 

花の都、パリにおけるザジの役を日本の新宿に当てはめるとなると、果たして誰か。それはもちろん、玉袋筋太郎である。
西新宿で生まれ育った玉袋少年は、厳格な父親の伏せられた職業が気になって、ある日、父を尾行しその職業を突き止める。こじんまりした飲食店風な建物に出勤していった父は、数時間後に顔を出したと思ったら、オネエマダム姿でしなを作って酔客を店外までお見送りしていたという。つまりは地下鉄のザジならぬ、地下鉄のスジ。
もちろん事実から大幅な脚色は施されているだろうが、浅草キッドに漂う、人気商売のテレビタレントらしからぬアナーコな雰囲気というのは、ザジの口癖である「ケツ喰らえ!」に由来しているのかも知れない。
それだけ新宿の懐が深いということなのだろう。

 

つまり新宿とは、東口の歌舞伎町辺りは誰が見ても明らかにヤバイと判る街並だが、一見すると素敵で平和に見える西口もやっぱりILLだった、その中心に位置するのが、まっとうで美味いカレー屋のきんもちであった、という俺の考察を理解して頂けただろう。なので、文中にちょくちょくムリヤリ気味に挟み込んでるブッダブランドのリリック風にいえば、病んでるきんもちすげー狂ってるって話だ。
いや褒め言葉で。

 

だって、考えてもみて欲しい。
きんもちがあるブロック、あの辺り。
区画の並びの右の端には、文中にも取り上げたワーキングクラスの象徴である作業服屋があるが、その反対側の左の端にはアッパーミドルの象徴、世界的な高級車であるメルセデス・ベンツのディーラーがあるんだよ。そんなブロック、他の都市ではあり得ないでしょ。