Marcos Valle / Samba '68 450円

いわゆるマスターピース的な一枚。大昔にレコードで持ってたけど随分長いことタンテ壊れてるし、いちおうレコ棚探したけど見つからないのできっとどっかのタイミングで売ったっぽい。


この、かつて持ってたけど今はない、とか、一度も自分で所有したことはないのにイントロからアウトロまで口ずさめるくらい聞き馴染みがある、とかいうのには詩情を感じる。そういうのってそのCDなりレコードなりにまつわる、いちいちくだらないドラマがあるんだよな。
例えばそう、いまでも確かにあそこににあるはずだけど、取りに行けない事情がある、とかね。場合とか人選によっては、さり気ない借りパクのつもりがいまや唯一の遺品に、とかもあるかも。

 

それはまあさておき。

世界的に見ても貧富の差が激しいことで知られるリオデジャネイロにおいて、弁護士の息子として生を受けたマルコス・ヴァーリ 。育ちの良さがこれでもかと伝わってくるジャケからも伺えるような、優しい歌声と味わい深い瀟洒なメロディライン。ついでにいくつかの曲でデュエットやコーラスを入れている奥さんのアナマリアも、なんだかやたら歌が上手い。俺はこれをてっきり1stだと思っていたが、調べてみるとアルバムとしては4枚目らしい。ブラジル国内でリリースされた初期2枚のアルバムが、アメリカでの好事家から高評価、その機運を受けたアメリカでの発売1枚目インストに続いての2枚目で、よって英詞に挑戦したということで、その甲斐あってか人気を決定付ける分水嶺となったアルバム、とのこと。そういった触れ込みも頷ける素晴らしい出来栄え。


2曲「Crickets Sing for Anamaria」の、途中からガチサンバに突入するとこなんて聴いてて思わず興奮するし、次の「Summer Samba」は多くの人にカバーされて誰しもが一度は聴いたことある名曲。

 

つまり、このアルバムは素晴らしい。

 

しかし問題は、そこからもう少し先なのです。


80年代のマルコス・ヴァーリ。ぜひamazonでMarcos Valleと検索して欲しい。カテゴリはミュージックで。まず本人が薬物依存の深刻なポルノ男優みたいなルックスになっとる。そして、ここら辺は実際にはあまり中古CDとしては見ないが仮に店頭に並んでても手に取るのを躊躇う、そのとっ散らかったジャケのセンス。一周まわって数年前くらいからアリに近付いたけどやっぱナシは揺るがない的なセンス。端的に言って、ジャケの中に無駄なものがいっぱいある。見てるとなんかこれ、直に触るとペトッてしそうだなという嫌悪感がつい芽生える、というのは中古盤漁り特有の感覚かも知れない。

amazonの検索画面を見ていることを前提に話を進めているが、例えば83年のセルフタイトル『Marcos Valle』、ヒゲ面にピンクのVネックTのヴァーリ。南洋の果物と綺麗なカクテルに囲まれ微笑むの巻。小物含めてカラフルな色使いなのにバランスが悪すぎて、というか細かい部分までいちいち主張が強すぎて、見ていて漠然とした不安を覚えてしまう。


ちょっと遡って70年のセルフタイトル『Marcos Valle』のジャケも、なんでこんな構図になったのかサッパリ判らない。何故に裸体。ていうか小さくないか本人が。いや、そもそもセルフタイトルがこれらを含めて3枚あるって時点でとんでもない奴だなヴァーリは。普通に考えりゃ判るであろう周囲の迷惑を気にも留めないというのは、育ちの良い奴によくある困った問題点なのかも。

 

まあそれらのアルバムも、実は内容はそれなりに評価されてたりしているらしい。もともと持ってる音楽の才能は素晴らしいのだから、聴く分にはいいのではないのでしょうか。あんま中古屋で見ないけれど。 

 

というわけで、Marcos Valleが好きで好きで堪らない、ブラジリアン特有のノンビブラートな歌唱法に乗って一晩中踊り明かすほどのヴァーリピーポーだったらば、当然そこら辺も含めて要Checkしとくべき、などと無責任な助言を残して、今日の結びとしよう。